ピーチブラック(その他の核・種の黒)

ピーチブラックは桃の核を素材とする黒顔料であるが、現在は黒の慣例名となっており、実際に桃の核を使ったものは、たぶんほとんど販売されていない。植物炭の黒としてはヴァインブラック(葡萄の蔓)がよく知られている。ワイン生産の為に葡萄を栽培すると、剪定の際に毎年大量の蔓が切り落とされるので、炭作りに活用されるのは、流れとして自然であろう。しかしヴァインを差し置いてピーチが植物炭の代名詞となったというのは、その経緯が気になるところであり、またそれほどまでの適正を備えた素材であるのかを知りたいところであろう。文献上では、中世イタリアの画家チェンニーニが桃核を使用した黒に言及している。

このほかには、アーモンドの核あるいは桃の核からつくる黒もある。これも完璧な黒顔料で、粒子が細かい。

石原 靖夫; 望月 一史; 辻 茂. チェンニーノ・チェンニーニ 絵画術の書 (岩波文庫) (p.80). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

桃核の他、アーモンドの核も薦められている。現代では独クレマー社が桃、チェリー、葡萄の種を使った黒顔料を販売している。クレマー社の解説によれば種子による黒は構造が均質で、それゆえ炭顔料の素材として優れているという話である。とはいえ、当時の人々にとってはおそらく廃棄物の再利用からくる選択肢であったかとは思われる。食べ物の残り滓である種などを燃料として燃やした際に、炭となったものがたまたま黒顔料として適していたくらいの話であったろう。それはともかく本項では植物炭の中でも種子・核というジャンルがあるというとらえ方をして、古い絵画技法書に記載されている素材による黒顔料の作り方をまとめたい。アイボリーやヴァインと比較して真正顔料の販売も少なく、情報も限られているので、例によって推測を重ねて話を進める。

ピーチ(桃核)

我々が普段食べているような白桃は中国が原産地らしいが、古代にはヨーロッパにももたらされていたようである。古画に描かれている桃も、我々が食べているようなものが見られるので、普通の桃の種を使用して問題ないかと思われる。ネクタリンやプラムなど広く核果類の種のことを言っていた可能性もあるが、種の大きさなどを勘案すると、一般的な白桃が一番取り扱いやすい。桃の種は胡桃の殻ような核と呼ばれるものの中に、仁とよばれるちょっと柔らかい本体のようなものが入っているが、桃核炭とも呼ばれるように、核が顔料の素材となると思われる。とはいえ炭化したあと砕くのが、けっこう固くて大変である。ピーチブラックは今でも市販の絵具の名称に使われているが、本物の桃核が使われていることはまずない。植物炭の黒に対して慣例名として使われているか、あるいは全然関係ないカーボンブラックにもこの名称が使われているかもしれない。なぜピーチブラックの名が現代に残るまでになったのかは、私としてはけっこう疑問であった。他にも植物系の黒を代表できるものはいくらでもあったのに。ここからは推測であるが、桃核というのは食用にもならず、堅くて腐敗も遅く、肥料にもならず、従って燃料の足しとして燃やすしか使い道がなかったのかもしれない。普通は燃焼すればやがて灰になるが、堅くて密度の高い桃核は炭として残りやすく、暖炉などに残った桃核の炭が、硬さと密度故にたまたま顔料として優れていたという流れだったのかもしれない。したがって、現代の世界で桃核を集めて黒顔料を使うことに意義はあまりないような気もするが、堅くて密度の高い素材という意味ではやはり素材として適しているもののひとつと言える。桃の種は顔料製造の本職ならば、桃製品の加工工場から廃棄されるものを引き取るのが現実的かと思われる。個人的に試すとしたら、桃を食して種をとっておくなどするのだが、桃はそこそこの値段がする果物なので、黒顔料を作る為に桃を買って食べるというのは、本末転倒な行いであるかもしれない。種から黒を作るとしたら、日常で食べたいろいろの果物などの種を取っておいて、それを活用するというのが自然な流れかと思われる。桃核に近いものなら、胡桃の殻も固さや密度の点で近いものがあって、代用としてお薦めである。ただし知り合い等に連絡して桃の種をとっておいてもらえるように頼んでおくと、けっこう集まったりするものである。

こちらが炭化させた桃核である。焼き方は他の黒顔料のページと同様であるが、火力が強めの焼き方がよいのではないかと思う。桃核は厚みがあるので、二つに割った方が熱が通りやすいと思う。中には仁が入っているが、核と質感が異なるので均質性を追求するなら取り除いた方がよいだろう。

ブドウの若枝などの炭と比べるとかなり堅い。種系の炭の中でもやはり堅いほうであると思う。乳鉢で砕くのは骨が折れる工程なので、石臼等を活用した方がいい。小量ならば小型のミルミキサーなどが候補にあがるであろう。そしてきめ細やかな顔料とするにはボールミルが必要になるのではないかと思う。絵具として練るときに堅い粒が残っていても難儀すると思うので、#250~300程度のフィルタを通すことをお薦めする。その工程についてはヴァインブラックのページで述べている。

アーモンド殻

チェンニーニの書にも言及されていたアーモンド殻であるが、なぜ黒顔料として使われるに至ったのか、やはり推測になるが、キリスト教社会では四旬節と呼ばれる復活祭前の準備期間40日を肉や乳製品を禁じて過ごしており、その期間に牛乳のかわりにアーモンドミルクが用いられたという。その為大量のアーモンドの殻が発生し、そのゴミを燃料として燃やすなどするうちに、炭になったものを顔料に使うような流れがあったのかもしれない。現代では日常でアーモンドの殻を見る機会はあまりないと思うので、あえてそれを使用する意味があるかはわからないが、桃核などと比べると燃焼に時間がかからず、できた炭も比較的柔らかくて砕きやすいので、種系顔料の中では作りやすさの点で利点があろう。顔料製造の本職であれば、アーモンド加工工場の廃棄物を引き受けるのがよいのかもしれない。

個人的に入手する場合、食用の殻付アーモンドを購入して、食したあとの殻を集めるとよい。おそらくどの製品も塩で味付けされているので、気になる場合は水洗いしてから焼くとよい。

中身が空洞の殻であるから、そのまま炭焼きして比較的簡単に炭にすることができる。

桃核よりは砕きやすいが、部分的に堅いところもある。しかし、総じて焼きやすく砕きやすい素材といえるであろう。

葡萄の種

葡萄の種も黒顔料の原料として使われていたと思われるし、現在も独クレマー社が販売している。しかし、歴史的にはおそらく葡萄酒の絞りかすを焼くことが多かったのではないか。ワイン製造時の搾り糟には圧搾機で搾られた葡萄の滓には皮と種と茎が混ざり合って固まっているので、それを分離するというのは手間であるし、その必要もなかったと思われる。しかし、ここでは種単体を焼く場合の話をしておく。

葡萄の種というのは古代でも中世でもワイナリーで発生する廃棄物の活用であったと思われる。現代でもワイン産業の副産物を有効活用する取り組みは広く行なわれているので、葡萄炭の顔料もその流れの一端かと推察される。ワイン製造時に発生する滓は、まず発酵工程後に皮や種、茎などが取り除かれる。その後の熟成工程の後には酵母の死骸などの沈殿物が取り除かれる。この酵母等の糟を炭化させて作った黒は高級品で版画用にインクとして優れていたようである。混合物である。業界関係者ではないので推察になるのだが、ワイナリーの残渣がグレープシードオイル圧搾工場へ渡り、オイル圧搾後の油分の少ない種残渣が顔料製造に使われているということも考えられる。本職の顔料業者ならばワイナリーがジュース工場の廃棄物にコンタクトすることになるであろう。ただし本項で個人的な利用の範囲内で使用する分として制作してみる。葡萄はけっこう高いフルーツである。それを買って食べても得られる量は微々たるもので、絵具1本にすらならない。しかし私はたまたま葡萄の木を三箇所に植えていたので、毎年大量の葡萄が採れるゆえ、その種を取っておくことにした。

炭焼したものである。乳鉢と乳棒で砕こうとするとプチプチと跳ね飛ぶのが難儀であったが、堅すぎるということはない。

構造の均質さなどの面を追求するならば、種だけを集めてつくる黒はメリットがあるであろう。ただし、先にも述べたが、葡萄酒の滓をそのまま焼いた方が、製造が効率的であるし、種、皮、茎の微妙なブレンドが色の深さや使い勝手にもよい可能性がある。

葡萄酒の糟

ワインを作る際に葡萄を搾ったら、皮と種、そして水でよく洗うなどして、種と葡萄の皮を分離ウィトルーウィウスも葡萄酒の糟を燃やした黒顔料について述べている。

もし葡萄酒の糟が乾かされ炉の中で焼かれ、それが膠と共に摺り合されて塗装に用いられるならば、煤の黒色よりもっと優美な色合いを呈する。しかも、よい葡萄(の糟)からつくられると黒の色合いだけでなくインディア藍の色合いも模することができる。

『ウィトルーウィウス建築書』(東海選書)

同じような記事がプリニウスにもみられる。

ある人々は干したブドウ酒の滓を焼く。そして上等のブドウ酒の滓が用いられれば、そのインクはインドインクの外観を呈すると断言する。アテネのすこぶる高名な画家たちポリュグノトスとミコンは、ブドウの皮で黒色顔料をつくり、これをブドウ滓インクと呼んだ。

『プリニウスの博物誌』雄山閣,(第34巻[42])

葡萄の糟の黒はワイン造りと密接に関連していたと思われる。その為、昔のワイン造りを考察してみたい。まず大きな器などのなかで葡萄の房が潰され(古代から中世では足で潰した)、発酵の工程に入るが、この時点では果皮などと一緒にアルコールが生成される(皮に酵母菌が多くある)。房から葡萄の粒をひとつひとつ取る手間をかけることはなったであろうから、茎も一緒に入っていたであろう。発酵工程を終えた後、圧搾機で搾って固形物が混ざった状態から液状のワインを絞り出す。ワインは古代では土器に保管され熟成され、中世では樽で熟成されるという違いがあるが、いずれにしても絞り滓が発生するのは、アルコール発酵工程後に圧搾機で分離した時点である。ウィトルーウィウスが述べている葡萄酒の糟はこのことであろう。圧搾機で搾られているから、乾燥させるのに時間はかからなかった。そして葡萄の皮と種、そして茎も混ざり合って、それらは分離させることができるような状態ではなく、また黒顔料にするのにその必要もなかったから、そのまま焼かれたであろう。皮、種、茎はそれぞれ硬さや色合いが異なる。そして複数の素材がブレンドされていることは使い勝手の面で、色味の豊かさにおいて、メリットとなった可能性も考えられる。純度の高い現代の顔料よりも、そのような天然のブレンドが、古画の色合いを深いものにしている要因かもしれない。その意味では葡萄酒糟の黒は再現してみたい顔料である。

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