昔の製法
ランプブラックは石炭や石油を燃やして出来た煤を集めたものである。現在のランプブラックは石油炉で作られる。安価なうえに、耐久性、耐光性、耐酸性、耐アルカリ性いずれも優秀である。工業化以前では、煤を集めた顔料の製法が古代ローマ時代のウィトルウィウス『建築十書』も記されている。
すなわち、ラコーニクムのような場がつくられ、大理石で念入りに磨かれ滑らかにされる。その前方にラコーニクムに孔をもつ小さい炉がつくられ、炉の焚口は焔が外に漏れないように細心の注意を払って塞がれる。炉の中に松脂が置かれる。火力がこれを燃やすことによって煤を孔からラコーニクムの中に押し込む。それが壁と円筒天上のまわりにくっつく。そこから集められた物は一部ゴムが加えられ書写用の黒インキにつくられ、残りのものを塗装師が膠を加えて壁に使う。
ウィトルーウィウス(著),森田慶一(訳)『ウィトルーウィウス建築書』(東海選書)
ウィトルウィウスは松脂を使っているが、現在のランプブラックは、石炭や石油を燃やして量産されている。原料に石油が使われるのは、エネルギーとしての主役となってくる20世紀以降、それ以前は石炭が考えられる。石炭の利用が盛んになったのは産業革命以降のイギリスである。産業革命期のロンドンはそれこそ町中煤だらけであったというから、ランプブラックの街だったのかもしれない。石炭以前は、松脂や植物油がランプブラックの原料であったのではなかろうか。ウィトルーウィウスは松脂であった。中世末期の画家チェンニーニの書を参照する。
・・・亜麻仁油の入ったランプを用意し、ランプを油で満たし、火をつける。こうして燃えているランプを、よく拭った鍋の下におく。炎は、鍋の底から指2、3本のところにくるようにする。炎から出る煙が鍋の底にあたり、固まりとなってくっつく。少しそのままにしておいてから、鍋をとり、この顔料、すなわち煤を、紙の上、あるいは絵具壺に、何かで払い落とす。粒子のごく細かい顔料なので、練ったり挽いたりする必要はない。このように、何度か、ランプを例の油で満たしては、繰り返し、鍋の下におく。お前が必要とするだけの分量をこうしてつくる」
チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』(岩波書店)
こちらは植物油である亜麻仁油の煤から黒顔料を得ている。松脂は火力が強くこれを燃やすのは危険な行為となる。植物油のランプはずっと穏やかであるから、本項ではこちらの方法でランプブラックを作ってみたいと思う。
ランプブラックの作り方
写真のような小皿に亜麻仁油を注ぎ、綿糸などの芯を入れて、その先に火を灯す。そうすると芯の先の部分だけが小さく燃え続ける。
日本の墨づくりでは菜種油、胡麻油などが使われる。チェンニーニに従って亜麻仁油で試みてもよいが、開封して時間が経った亜麻仁油を使うと、すさまじい亜麻仁油臭が漂うので、食料品店で新たに食用亜麻仁油を買ってきた方がいい。芯が1つでは煤を集めるのに時間がかかるので、3本にしておこう。
ランプを設置したら、その上に大きな磁器の皿を被せる。当然ながら風の吹かないところがよい。墨づくりの現場では、倉の中でこのような墨集めを大規模にやるそうだが、粉塵爆発の危険と隣合わせであろう。私は風の無い日にガレージで行なった。
かなりの時間をかけて、皿いっぱいに煤を集めたが、回収してみると下の写真の量だけであった。
ランプブラックは油楳であるからか、水と混ざってくれない(これは現在の市販のランプブラック顔料も同じである)。水と混ぜようとしても写真のように綺麗に分離してしまう。テンペラ画家などでランプブラックを水練りしようとして、うまく行かなかった人もいるのではなかろうか。
しかし、膠やアラビアゴムなどの何らかの媒材が加われば、簡単に水に溶けてくれる。写真はアラビアゴム液を少々混ぜた状態である。他に、少量のテレピンを滴下するという方法もある。
試し書きしてみたが、いかにも墨らしい書き心地であった。
植物油を灯芯で燃やして得るという方法では、得られる量が少ないので高級品になってしまう。松脂などを燃やす方が煤が大量に発生するであろうが、しかしそれよりも石炭や石油の方がさらに生産効率がよいであろう。植物油や松脂、松材などの煤を植物性、石炭・石油の煤を鉱物性と区分できる。鉱物由来のランプブラックは、昔の巨匠が使っていたランプブラックよりも漆黒度が高いことが予想される。漆黒度が高いといいと思うかもしれないが、自然な色調の絵を描くには意外と不向きなことが多い。他の黒にも言えることだが、天然由来の高級品の方が不自然に黒すぎないので使い易いのである。
書道の墨
東洋で使われる書道用の墨も、ランプブラックと同じ製法なので、概要を述べる。書道用の墨は大別して油煙墨と松煙墨がある。油煙墨の作り方は先に挙げたチェンニーニの方法と似たようなものであろう。原料には菜種油や胡麻油などが使われる。松煙墨は松脂または松脂が含まれる松材や樹皮などを燃やして出た煤を集めたものである。こちらはウィトルーウィウスの方法と近い。松材よりは松脂を燃やしたもの方が質がいいように思われるが、あまり墨を使う機会がないので、実際の使い勝手はわからない。油煙、松煙のいずれの方法でも、植物由来の油脂や松脂を燃やす場合と、石炭、石油など鉱物性の燃料を燃やす場合があるようだ。やはり現在は鉱物性の原料が多いのではなかろうか。面白いのは、書道用の墨の場合は製法(油煙か松煙か)と原料(植物か鉱物か)が表示されている点である。
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