概要
「コーパル」の定義はかなり紛らわしい。鉱物の世界ではコーパルは琥珀になる前の半化石樹脂とされる。そしてかつての絵画用に使われたコーパルも半化石か、あるいはそこまで年代が経っていなくても、半化石に近い樹脂が使われていたかと思う。しかし現在の市場のコーパルはほとんど現生の樹木から採取されたものであろう。この件については後に詳しく述べる。どちらにしてもコーパルは硬質な樹脂に分類され、そのままではテレピンなどの有機溶剤に溶けない(アルコールには溶ける)。これを乾性油やテレピンに溶けるようにするため、長時間高温で加熱するという処置をする。これをランニング(run)という。画家は画材店でそれを買って使うことになる。ただし、このランニング処理は多大な労力を要し、蒸気の臭いも非常に強いため、供給が不安定である。現在国内ではたぶん入手できない。
ランニング処理を経たあとは真っ黒くなっているので、これで作ったニスはかなり暗い色をしている。画用液の色というのは絵具に混ぜればほぼわからなくなるものだが、黒コーパルの暗さはけっこうな着色力がある。むろんこのワニスを単体で使用するのではなくて、乾性油などと混ぜて画用液とするわけだが、それでもかなり黒い画用液ができる。しかしその画用液は乾燥が速く硬質な画面を作るので、愛用している画家は多い。実際にはコーパル樹脂の愛用者は、ルフラン&ブルジョア社のシッカチーフ・フラマン・メディウムを使用していることが多い(この画用液にはコーパルが含まれているようで、黒っぽい色をしている)。そんなわけで、画材店にランニング処理済みのコーパルがあるかどうかは、それほど問題となっていない印象を受ける。シッカチーフ・フラマン・メディウムが途絶えるか、合成樹脂に変更されることの方が影響が大きいであろう。
ランニング処理されていないコーパルはアロマショップなどで購入することができる。これを、先に述べたようなランニング処理を個人で行なうというのはかなり難しい。危険な上に、臭いの被害を周辺に与えてしまう。他の方法としてはコーパルを鍋で加熱して溶かし液状になったところで、別途温めておいた亜麻仁油を注いで分子結合させるという手法もある。だが、これも臭いの被害が大きいし、どちらかという木工や楽器製作に適した方法ではないかと思われる。コーパル樹脂を亜麻仁油の中で煮て溶解させる方法もある。マニラコーパルなど軟質なコーパルなら270℃くらいまで温度を上げるとある程度溶け出すようだ。溶けきらない部分がかなり残るが、それは箸などで取り除く。それでいくらかコーパルを含む亜麻仁油ができる。琥珀色程度の明るいコーパル油ワニスとなる。
なお、テレピンには溶けないが、アルコール(無水エタノールなど)にはあっさり溶けるので、コーパルのアルコールニスを作るのは簡単である。しかし油彩技法ではアルコールニスが活躍する場面がない。
樹種
コンゴコーパル
アフリカとアメリカ大陸に、マメ科の中の熱帯性の樹木にコーパルを産するいくつかの属があり、代表的なものとして、ヒメナエア Hymenaea とコパイフェラ Copaifera が挙げられる。コパイフェラ・デメウシイ Copaifera demeusei がコンゴコーパルを産する樹木である。
マニラコーパル
東南アジアの針葉樹の中で最も熱帯に分布するナンヨウスギ科アガチス属(ナギモドキ属)もコーパルを産する。現在はアガチスからタッピングで採集される現生樹脂のコーパルが主流であると思われる。
かつては地面から採ることもあったが、現在は全てタッピングで採集する現生樹脂であるという。地面から採ったものは、硬質な樹脂だったかもしれない。
カウリコーパル
ニュージーランドのアガチス・オーストラリア Agathis Australis はカウリ・コーパルを産する。かつては地面を深く掘り返して大量のカウリコーパルを採掘していたようである。カウリコーパルを絵画に使うという話は聞いたことがない。
マメ科ヒメナエアのコーパル
マメ科 Hymenaea verrucosa のコーパル樹脂
そのパッケージ
ちなみに、南米のコーパルの木は主にマメ科ヒメナエア属である。マメ科というと、蔓植物のようなものを想像するかも知れないけれども、立派な樹木である。ちなみに写真はそのヒメナエアの種と思われるものである。
半化石とは?
天然樹脂は全般的に名称の混乱など曖昧な要素が多いが、コーパルは特に実態のつかめない材料である。コーパルは鉱物の世界では、琥珀になる前の段階の半化石樹脂として知られている。しかし、諸々の状況を鑑みるにつけ、現在、絵画用途に供給されているコーパルは現生樹脂であろうと思われる。あるいは鉱物界で市場に出回っているコーパルもほとんどが半化石と呼べうるものではないかもしれない。例によってJean H. Langenheim,”Plant Resins: Chemistry, Evolution, Ecology, and Ethnobotany”によれば、コンゴコーパルもおそらく半化石化に必要な年齢(5000-40000年)に到達していないと述べている。コンゴコーパルが半化石樹脂でなければ、画用ニスにおけるコーパルの「半化石」というのは、現代の常識としてはもう忘れてしまってよいかもしれない。なお、マダガスカルコーパルにおいては、半化石樹脂として売られていたものを調べてみたところ、50年ほどしか経過していないものだったという例もあったとか。しかしそうは言っても、樹木からタッピングで採取した現生樹脂よりは、地面から取ったものが硬質で価値があったようである。そういう意味では地面から取ったコンゴコーパルのニスとして価値が変わるわけではないのだろう。
樹脂はどれくらいの年月で半化石樹脂としてのコーパルとなるのか、どれくらいで琥珀になるのか。多くの書物では、琥珀になるには数百万年、数千万年の時間が要ると書かれているが、”Plant Resins”では、その数値に根拠はないと言いう。”Plant Resins”によれば、0~250年を経過しただけのものは、まだ現生樹脂か最近の樹脂(modern resin or recent resin)という括りであり、250~5000年は古樹脂(ancient resin)、5,000~40,000年の間のものを半化石樹脂と分類し、そして40,000年以上経って化石樹脂になるとする。4万年というのは琥珀の世界では非常に新しい樹脂のようにも思える。
歴史
”Plant Resins”を頼りに、画用コーパルの歴史を復元してみたいが、以下は推測に過ぎない。まず、『絵画材料事典』をはじめ、20世紀中盤までの技法書で賞賛されているのはコンゴコーパルである。
コンゴコーパルは今日の市販品ワニス工業で一般に用いられる重要なコーパル樹脂である。これは事実上、標準の化石樹脂である
絵画材料事典
現在コンゴ民主共和国の政治情勢は極度に悪化しており、樹脂が輸出されるような状況ではない。コンゴコーパルの全盛期は、ベルギー王レオポルト2世(在位1865-1909年)の私領、その後のベルギー領だった頃のコンゴから採掘されて、ヨーロッパに輸出されたものであろう。レオポルト2世は世界史の虐殺者ランキング5指に入る過酷な労働を現地民に強いて資源を採集したという。
合成樹脂の登場前は、コーパルは産業的に大変重要な樹脂だったようである。”Plant Resins”によれば、地面を掘って樹脂を採っていたようであるから、半化石樹脂の可能性は高い。
コンゴ・コーパルは買おうと思えば、なんとか買えるようである。しかし、材料としては安定して供給されてこそ価値があったのであろう。以上のことから20世紀の技法書が賞賛する画用コーパルの全盛は、ベルギー領コンゴ時代かと思われるのだが、さまざまの産業全体で重要な樹脂であり、絵画もその流れの中にあったのかもしれない。コンゴ共和国独立以後の政治情勢に関わらず、合成樹脂がそれに取って代わる状況は同じであったろう。
アメリカ大陸にもマメ科のコーパルを産する。Plant Resinsによれば、その土地の人々が樹脂全般をコパリと読んでいたのがスペイン人に伝わって、どのような経緯かわからないが、やがて「コーパル」が国際市場で硬質で融点が高い樹脂を示す用法が定着したという。ダンマルが、現地人が樹脂全般を指す言葉であったのと似たようなケースである。コーパルは、名称の由来が中南米で、産地として有名だったのはアフリカ、しかし現在使用されているのは東南アジアということになる。
しかし、コーパル自体の使用はかなり古くからあったらしい。マックス・デルナーの技法書によれば、中世の修道士テオフィルスが書き残した技術書にある、フォルニスと呼ばれる樹脂がコーパルらしい。
ニスと呼ばれる膠について
亜麻仁油を小さな新しい壺に入れ、フォルニスfornisと呼ばれる樹脂(1)を極めて細かく磨って加えよ。それは最も澄明な乳香の外観をもつが、砕かれると、より明るい光沢を放つ。それを汝が炭火の上にかけたならば、沸騰しないように入念に、三分の一が蒸発するまで煮よ。そして焔に注意せよ。何となれば、それは極度に危険であり、引火した場合には消すのが難しいからである。この膠で上塗りされたすべての絵は、光沢を放ち、美しく又全く長持ちがする。-同じく別の製法で-(2)
火に耐えて割れないような石を四つ組合わせて、その上に新しい壺をかけよ。そしてその中に、ロマン語でグラッサglassaと呼ばれる、上述の樹脂フォルニスを入れよ。そしてその壺の口の上に、底に穴をもった、より小さな小壺をかぶせよ。そしてこれらの壺の間に蒸気が全く洩れぬよう、そのまわりに粘土を塗れ。その上で、この樹脂がとけるまで、入念に火にかけよ。更に汝は、細くて柄にとりつけた鉄棒を持ち、それで上記の樹脂が、すっかり液化したことを感じとり得るまで掻き混ぜよ。汝は、炭火にかけられた壺の傍に、中に熱い亜麻仁油の入った第三の壺を置くように。そして鉄棒を抜き出すと、糸の如きものを引く程に、樹脂が完全に液化したならば、それに熱い油を注ぎ、そして鉄棒で掻き混ぜよ。そして沸騰しないように、そのまま一緒には煮るな。そして時々鉄棒を抜き出して、少量を、その濃さを試すために、木又は石の上に塗れ。そして重さにおいて、油が二、樹脂が一の割合となるように留意せよ。もし汝が汝の好みに合うように、入念にそれを煮たならば、火から下ろし、蓋をとり、冷却するままに放置せよ。
註(1)《フォルニスと呼ばれる樹脂gummi quod uocatur fornis》を、Ilg訳およびde I’Escalopier版訳では《フォルニスと呼ばれる(アラビア)護謨》、またC.R.Dodwell訳では《sandaracと呼ばれる護謨》とするが、我々はテオフィルスがこのgummiの溶剤に亜麻仁油を用いていることから、これは護謨ではなく樹脂であるとするJ.G.Hawthorne-C.S.Smithの説を採ることにした。通常護謨は水溶性である。また同じくJ.G.Hawthorne-C.S.Smithは、本章に記された二つの製法において、恐らくフォルニスが性質を異にすることを推測している。
テオフィルス『さまざまの技能について』
註(2)手写本のうち、Hのみがここで第XXII章を起している。
しかしアフリカの植民地からコーパルが大量にもたらされるよりもずっと前の時代である。もしかしたら、これはバルト海の琥珀だったかもしれない。厳密にはこの樹脂がコーパルなのかどうか確定できないが、絵画の技法書ではコーパルと考えることが多いようだ。グザヴィエ・ド・ラングレの
・・・グレユザメールは、テオフィルスの手写本から引用した次の処方によって、コーパルによる油脂っこい良質のニスを間違いなく得ることができると述べている。
「樹脂を新しい壺に入れて溶かす。樹脂が完全に液状になったら、別に熱しておいた油を注ぎ入れる。油2、樹脂1の割合で混ぜ合わせた二つの液を沸騰させることなく、加熱する」。
現在
話を現在に戻す。画用で流通しているものはマニラ・コーパルと呼ばれるものである。東南アジア産のアガチス属の樹脂であり、現在、絵画用に使われているのは、東南アジアのマニラコーパル、しかも生きている樹木からタッピングで採取されるものである可能性が高い。真っ黒になるまで加熱して、分子を断ち切って使うという
メタセコイア
流通しているほとんどのコーパルが半化石樹脂ではなかったとしても、いずれは化石化してゆく種類の樹脂なのだろうか。どんな樹脂でも化石化して琥珀になれるわけではない。やや古めの文献や事典には、琥珀の元となる樹脂は、針葉樹、特にマツの樹脂と書かれていることがある。マツの樹脂、松脂は琥珀を形成する為の高分子化ができないようで、松脂は琥珀原料の候補としては除外さる。どのような高分子化が起こるのかについては、「現代化学 2013年 06月号」東京化学同人掲載「超スローな化学反応でつくられる琥珀」中條利一郎(著)という記事が詳しい。
化石化する可能性のある樹脂を出す樹木としては、熱帯のマメ科のヒメナエア、コンゴコーパルノキ、同じく熱帯のナンヨウスギ科アガチス属が挙げられるが、日本で栽培するのは無理であろう。国内で栽培できそうなものにメタセコイアがある。長らく化石樹木と思われていたメタセコイアも琥珀となる樹脂を出していたという。メタセコイアは1945年に中国奥地で現存しているのが発見され、日本でもあちこちに植樹されている。飯田孝一(著)『琥珀』亥辰舎(2015/10/30)にもメタセコイアに言及されている。私も自宅にメタセコイアを植え、樹脂を採取してみた。
樹脂の採取は樹皮の表面に傷を付けて行なう。樹木というのは幹の内部はほぼ活動のない組織で、樹液が通ったり成長したりなどの生命活動は樹皮の近辺の僅かな範囲で行なわれているようである。それがわからず、はじめは樹脂の採集には苦労した。
集めた樹脂を、テレピン、エタノール、水で反応のテストしてみた。
結果、テレピンには溶けず、エタノールに溶けている。これはマニラコーパル他、コーパル全般の反応と同じである。水に溶けていないのでゴム樹脂でもない。
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