本記事では、膠引きも地塗りもされていない状態の亜麻布(これを生画布と呼ぶことにする)を木枠に張って、膠引きするまでを説明する。市販の絵画用キャンバスは、PVAで目止めされており、さらにそこに白い地塗り塗料(ほとんどはアクリル塗料)が塗られている。目止めされていない画布を張るのは実はかなり難しい。しかし、これができるようになれば、いくつかのメリットが生じる。まず、動物性の膠で目止めしたキャンバスを使うことができるようになる。膠で目止めされた画布はまるで薄い板のようにしっかりしており、描き味がだいぶ改善する。膠引きキャンバスは柔軟性に欠けるため、ロール状にして出荷することが難しく、市場では滅多に手に入らない。画材店では膠引き済み、あるいはグルー引き済みというロールキャンバスが売られてはいるが、はっきりと明記されていない限り、PVAで目止めされている(グルーや膠を、糊という意味で用いれば、べつに間違いではない)。もうひとつ、メリットしては、市場の様々な布を支持体として活用できるようになることがあげられる。マチエール作りは支持体の段階からはじまっていると言ってもいい。絵画用の亜麻布は、平滑な面になるように瘤などの非常に少ない高級な布が選ばれているのだが、あえてごつごつした荒い布を使うという表現があってもいいかと思う。貧乏画家であれば、安く手に入れて布で制作できるかもしれない。安いからと言って必ずしも耐久性に劣るわけではない。膠引きや地塗りなどの手順をしっかり理解しているかどうかの方が保存性を左右するであろう。
では、手順に移るが、まずは生画布を入手せねばならない。市場のどんな布でもいいとは言ったが、お薦めなのは亜麻、ヘンプ、ジュートなどの麻系の布である。白く漂白などされていない、生成りの布が丈夫だとされる。綿布は酸性に弱いとされ、油彩画には向かいのだが、しっかりと膠で目止めすれば使えなくもない。とはいえ、大きな作品では丈夫な麻系の布がよいだろう。はじめはキャンバスメーカーが提供している生画布を使った方が、市販の地塗り済みキャンバスと比較できて勉強になると思う。写真は絵画用の生画布。さまざまの目の粗さのものがあり、ネップもほぼなく平滑である。
生画布は、目止めも地塗りもされていないので普通の布のようにやわらかい(まさしく普通の布なのだが)。それを木枠に打ち付けてゆくが、普通のキャンバスを張るときよりも、釘の本数を多く打っておく。そして、釘はあとで打ち直せるように、半分までしか打ち込まずにおく。
そこにいきなり膠液を引いてはいけない。先に布を充分に引き延ばす工程が居る。布というのは湿気によって大きく縮み、そして乾燥によってまた広がる性質がある。膠を塗った状態で縮んだり伸びたりすると、キャンバスが波うねった状態で固まってしまう。これを避けるにはまず、予め限界まで布を伸ばしておくのだ。すでに布が木枠に張られてあるので、この状態でまずただの水を引く。私の場合は若干の防腐剤を含ませたお湯を塗布している。水分を含んだ途端に布が縮まり、ピンと張るであろう。この収縮の力は非常に強く、20号以上のキャンバスになると、水を引いた瞬間に布が縮む力で木枠が折れてしまう。従って、水を引く前に予め木枠の四隅を重石で押さえつけておかねばならない。大きなキャンバスの場合は漬け物石ぐらいの重さのものを載せねばならない。充分に水を引いたら、乾くのを待つ。季節によっては黴が発生したりするから、できるだけ早く乾く環境に置くのが望ましい。
さて、乾燥後は伸びた分が弛むので、画布はだらりと垂れているであろう。少しずつ釘を抜いて、プライヤーで引っ張り、また打ち付ける、というのを繰り替えて、画布をぴんと張りなおす。その後、膠引きへと進む。
膠液を用意せねばならないが、その方法は「膠の使い方(膠液の作り方)」を参照されたし。画布の目止めには、通常よりも若干濃度の高い膠液を用意する。膠1に水10くらい、あるいは1:9に近くてもよいと思う。濃度の低い膠液を使うと、画布が波打った状態で固まってしまうことが多いのである。なぜかはわからない。膠液の温度が高いと画布に塗る場合には流動性が高すぎるので、すこし冷めて粘っこくなってから使うのがいい。この膠液を大きな刷毛で、木枠に張った布に塗布する。真ん中から徐々に外側に向かって塗ってゆくとよい。膠を塗ったときに、やはり布が湿気で若干縮みのを感じると思うが、水引きの段階を経ているので、木枠が割れるほどにはならない。ただし念のため木枠が折れないように、四隅に重しは置いておくことをすすめる。
画布への膠引きでは、表の面にだけ塗って、裏面には染みこまない方がよいという、昔から語られているセオリーがある。もっとも、液状のものを塗布する場合、それは至難の業である。できる人はできる。だがそれよりも、気にせずしっかりと厚く塗る方がいいという人もいる。その辺はよくわからない。しかし、できるだけ均等な厚さに塗布した方がよいとは言えるだろう。厚みが違うと乾いたときにゆがんだりもする。そこは刷毛の使い方のセンスが問われている。あまり慣れていないと、膠液の付いた刷毛をどかっと画布に載せてそれから刷毛を動かすという塗り方をしてしまうことが多い。その場合、最初に置いたところに大量の膠液が染み、そこから先は少量の膠液が塗られることになり、場所によって膠の厚さが変ってしまう。流れるように弧を描くように画布に到達しながら、再び弧を描くように画布から離れる、という塗り方に変えるだけで均等に塗布できる。
そして、風通しのよいところで、乾燥させる。立てて置かずに、水平に置いた方がいいが、裏面も風が通るような高さにしておく。乾燥後に部分的に布が波打ったり若干の凹凸が見られたりすることがあるかもしれないが、その場合、熱い膠液を塗っていったん溶かし、水平に置いて再び乾燥させて様子を見る。無事、乾燥したら地塗りの工程に進むが、地塗りはいくつか種類があり、本サイトでいずれも作り方を紹介している。
PVAで膠引きしたい、という人もいるかもしれない。それなら市販の膠引きキャンバス(実際はPVA引き)を購入するのがよいと思うが、それはともかく、PVAで膠引きする場合は、世間では洗濯糊で代用できると言われているが、画布の目止めとしては濃度が薄すぎると思う。目止めとして画布を守るのが難しいし、なにより塗布したときに乾燥するに従って画布が波打ってくる。事務用のPVA糊の特大サイズを購入する、あるいは画材向けにPVA糊が販売されているので、そのようなものを買って使うとうまくゆく。
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