『西洋絵画の画材と技法』 - [材料一般]

カゼインの使い方

チーズを利用した接着剤は古い技法書に度々登場し、テオフィルスが書いた技法書(11世紀末から12世紀初頭?)や、チェンニーニの『絵画論』にも記されている。チェンニーニは、石灰とチーズで作る糊を、木工の親方が使う膠として紹介している。なんとなく、接着力を試してみたいなら、柔らかいチーズ、例えばカマンベールチーズの中の部分を塗って板同士を貼り合わせてみるだけでも、翌日には大人の力でも剥がせないほど強固に接着されているだろう。膠と並ぶ、古来から実績ある糊のひとつである。絵画用途では、板を貼り合わせてパネルを作ったり、サイズや地塗りを行なったり、さらには、絵具の媒材としても使用される。

カゼイン

現在、絵画用途では、牛乳から採りだしたミルクカゼイン(写真)を使用するのが一般的である。わずかに黄色みをおびた白色の粉末で、そのままでは水に溶けず、アルカリ分を加えると水溶性となる。その為に添加するものとして炭酸アンモニウム、アンモニア水、石灰などがあげられる。

獣皮の膠と比較すると、それより耐水性があり、湿気、カビ、虫害にも強い。膠液のように、常温でゲル化しない点も異なる。板など固い支持体に適している。しかし、柔軟性に欠けるため、キャンバス等の動きのある支持体には向いていない。絵具の媒材として利用することもあり、カゼイン・テンペラと呼ばれる。

カゼイン糊の作り方

以下に粉末のカゼインを水に溶かして、カゼイン糊を作る方法を紹介。カゼインの使用法に触れている技法書は多いが、中でもReed KayのThe Painter's Guide to Studio Methods and Materialsが最も具体的で、実践する際の配慮に富んでいる。以下の手順は概ね同書の指示に従っている。

材料と道具

道具類は、カゼイン溶液を作るための器(ビーカー等)、湯煎に必要な加熱器具、鍋、温度計、ボウル、ラップ等(写真を参照)。金属はカゼインを駄目にするという話なので、カゼイン溶液に触れるものには使用できない。溶液を作る器はガラス製またはホウロウ等、攪拌するためのヘラも木製等を選ぶ。

手順画像

カゼインは画材店で粉末状ものが入手できる。何年もストックした古いものは、効力が弱くなるとのことである。

カゼインを水に溶解させるために、アンモニア水、炭酸アンモニウム、石灰(生石灰または消石灰)、その他のいずれかが必要。いずれを使用するかにより糊の性質も異なる。アンモニア水は薬局・薬店で常時在庫しているので、容易に入手できる。炭酸アンモニウムは薬局にて試薬として取り寄せになるだろうが、数週間かかることもある。なお、ディスカウントストアに類するドラッグストアで注文しても、まず断られるので、ちゃんとした薬局に問い合せること。消石灰は、大きな画材店で入手できると思う。生石灰は、水分を含むと熱を発するなど、消石灰よりやや扱いにくい。本項の作業手順は、最も手軽な方法としてアンモニア水を使用しているが、いくつかの注意点を踏まつつ、炭酸アンモニウムに置き換えてかまわない。なお、石灰はまだ試したことがない。それら以外にも、カゼインを溶解させる材料はあるが、いずれも試みたことがないので未知数である。また、カゼイン糊は腐敗しやすいので防腐剤も必要。防腐剤に関しては、様々な薬品が候補に挙がるが、とりあえずは画材店で入手できるものでよい(おそらくカゼインと同じ一角にある)。

手順

大きめの容器を用意し、カゼイン1に水5〜6を入れて、粉末がよく湿るように、しばらくかき混ぜ、その後数時間、膨潤させる。写真の例では、500mlビーカーに40gのカゼイン、220mlの水を入れ、水の蒸発を防ぐためにラッピングしている。後述の作業において、カゼイン溶液が泡立ってあふれ出すことがあるので、容器はできるだけ大きなものを使用した方がよい。特に炭酸アンモニウムを使用する際に泡立ちが激しい。500mlビーカーではカゼイン40gの溶液が限度で、それ以上は1000mlビーカーが必要。

手順画像

先の方法で膨潤させたカゼインを湯煎する(この時点では湯煎をする必要はないかもしれない。Reed kayの書ではしていない)。湯煎のやり方については「ニカワ」の頁を参照。そして、アンモニア水を適量加える。写真の例ではカゼイン40g+水220mlに対し、7〜8ml程度のアンモニア水を加えている(アンモニア水の量は容器のキャップなどで量れる)。アンモニア水に代わって、炭酸アンモニウムを投入してもよい。炭酸アンモニウムをそのまま、あるいは少量の水で溶いて加える。炭酸アンモニウムの場合は激しく泡だって、あふれ出すことがあるので慎重に投入すること。

カゼインが溶解しはじめるので、数分間よくかき混ぜる。粒や塊がなくなり、ねっとりした水飴状になるまで、よく攪拌する。

手順画像

充分に混ぜ合わせたら、湯煎により80℃まで上げて、その温度を維持しつつ、さらに約20分間攪拌する。アンモニアガス(アルカリに敏感な顔料に影響を与える)が抜け、有害な酵素も破壊されるということである。20分攪拌というのは、なかなか重労働である。Reed kayによると、76.7℃を下回ると水っぽく弱いものになり、88℃を上回ると粘りのキツいものになるという話である。

攪拌が終わったら、ビーカーを冷水に浸け、かき混ぜ続けながら、なるたけ速く室温まで下げる。その理由はReed kayの文章だけでは少々わかりづらいが、時間をかけて冷ました場合、水中での加水分解により粘度低下、腐敗が加速するためと思われる。

説明が長くなったので、手短にまとめると、写真の例では以下のような手順になる。
1) 500mlビーカーにカゼイン40g、水220mlを入れ、一晩膨潤させる。
2) 湯煎し、アンモニア水8mlを加える。カゼインが水によく溶けるまで数分攪拌。
3) 80℃で湯煎しながら、20分ほど攪拌。
4) ビーカーを冷水に浸けて、急速に室温まで下げる。防腐剤を添加する。

別の容器に移すか、ビーカーに念入りにラップをかけて水分が蒸発しないようにして、冷暗所に置く。防腐剤を添加しても、だいたい10日以内に使い切った方がよい。糊作りは大変だが、膠溶液と違って、室温でゲル化するということがないので、その点では扱いやすいと言える。しかしながら、膠を使用するときよりも、扱い慣れるまでに失敗を繰り返す頻度が高いかもしれない。それに、膠に比べて、技法書の記述がかなり少ない。実用に至るまでに、ある程度、自ら試行錯誤を繰り返さねばならないだろう。

カゼイン糊を使用したプレパレーション

以下にカゼイン糊を使用したサイジング(前膠)から布貼り、地塗りに至る作業を紹介する。ただし、場合によっては、サイジング、布貼りなどは膠でやってもよいかと思う。カゼインによるプレパレーションは柔軟性に欠けるので、キャンバスなどの動きのある支持体には向いておらず、板絵用の下地となる。

サイジング(前膠)

手順画像

カゼイン溶液を適度に薄めて、刷毛で塗布する。吸収性が強いので、2回以上の塗るのがよいかと思う。はじめは倍の水で薄め、二層目は多少薄めた程度のものを塗る。

カゼイン糊による布貼り

手順画像

まず、ねっとりしたやや濃いめのカゼイン糊をパネルにたっぷりと塗り、そこに布を置いて手のひらやヘラ等で密着させ。厚く塗ったカゼイン糊は、割れが生じやすいので、余分な糊は掻き出すようにする。

手順画像

さらに上から薄目のカゼイン糊を染み込ませるように塗布する。パネルへの布貼りに関しては、細かい部分は「支持体の準備」に概ね準じるので、詳細はそちらを参照のこと。

カゼイン糊による地塗り

白や体質顔料を混ぜて、カゼイン地塗りを行なうことができる。これは、吸収性の地塗りなので、油彩技法に使用する際は、インプリマトーラなどによる調整が要る。Reed Kayの書は、処方がポンド・ヤード法で書かれており、様々な単位が入り乱れているので、日本人には少々読みづらい。以下の地塗処方は、ホルベイン工業『ホルベイン専門家用顔料とその素材』を参照しつつ多少変更したものである。顔料の選択やその他の留意事項は、「白亜地」の頁に準じるので、そちらを参照。

材料名
カゼイン溶液 1 100g
天然白亜(ムードン) 1 100g
チタン白顔料 1 100g
0.5〜1 50〜100g
手順画像

処方に合わせて、ビーカーにカゼイン溶液を入れ、顔料を投入する。カゼイン溶液は予め水で薄めておいた方が顔料を混ぜやすいが、大方の水分は、最後に塗料の粘度を見ながら加えていった方がよい気がする。

市販のカゼイン地塗り材としては、ルフラン&ブルジョワ社の「カッセ・アルティ(Case arti)」がよく知られている。水彩から油彩まであらゆる技法の地塗りとなるが、カゼインベースであるから、キャンバスには向かない。吸収性が強いために、絵具によってはその吸収性を調整する層を施して使用した方がよい。と言っても、アクリルジェッソが急速に普及したためかと思われるが、最近はまず目にする機会がない。Webで検索すると、いくつか海外の通販サイトがヒットする。

プレパレーション以外の使用法

木材同士を接着する場合、カゼイン糊は極めて強力な接着力を発揮する。パネル作りなどに適している。木工仕事には石灰を使用したカゼイン糊が適していると聞くが、アンモニアのものでも、非常にしっかりと接着される。カゼインは湿気にも強いというから、日本の風土に適している可能性がある。しかし、膠のように、お湯で再溶解させて、再びバラバラにするといったことが容易でない。修復の際は、その点で若干不利かもしれない。

カゼイン糊は、絵具の展色材として使用できる(カゼインテンペラ)。しかし、私自身は、自作のカゼイン糊でテンペラ技法を試みたことはない。ターナー色彩にカゼインテンペラメディウムという製品がある。カゼイン糊は、乾性油と混ぜ合わせてエマルジョンを作ることができるが、ターナーの製品でも可能である。地塗り作業以外の使用法に関しても、Reed Kayの書が実践的配慮に富んでいる。

ほとんどの技法書ではカゼイン粉末を使用しているが、乾燥凝乳チーズを利用する方法が、マッセイ『画家のための処方箋』に紹介されている。

文献案内

冒頭でReed Kayの書を紹介したが、その他、カゼインについて、具体的使用法を述べられているものを以下に挙げる。

  1. ホルベイン工業『ホルベイン専門家用顔料とその素材』
  2. 佐藤一郎(著) 新技法シリーズ146『絵画技術入門』
  3. ロバート・マッセイ(著)『画家のための処方箋』

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